平成生まれの君はさ、田舎のネズミと都会のネズミ、どっちがいい?

田舎のネズミと都会のネズミ、どっちがいい?

チェンソーマンの映画(レゼ篇)を観た。ジャンプで連載していた時からずっと読んでいた作品なので、映画やってるし観に行くかくらいの感覚で観に行って度肝を抜かれ、頭の中が1週間ほどレぜでいっぱいになってしまった。藤本タツキ、ずるすぎる

まあそれは別の話として、作中でレゼと天使の悪魔が「田舎のネズミと都会のネズミ、どっちがいい?」と聞くシーンがある。チェンソーマンでは都会のぜいたくな暮らしを夢見るデンジと、使命を果たしながらも平穏な暮らしを望んでいるレゼの思想の違いが二人を突き離す要因になってしまったわけだが、これは現代の日本社会で生きていくうえでもある種究極の問いになりつつあるテーマであると思う。

 

私は西日本の中核都市の生まれであり、自分の出生を田舎者だと思ったことはない。祖母が人口1万人程度の村に住んでいるので、「りょうたくまの家は都会でいいねえ」なんてよく言われる。ある程度私も田舎と都会両方の視点を持って生きてきたうえで、住むなら絶対都会がいいなあ、と例にもれず就職活動は都心を希望して行ってきた。

運よく首都圏で働けることになり、上京して所謂キラキラした世界を一通りみて改めて思ったことがある。それは、日本に生きる上で田舎で暮らすことと都会で暮らすことはほぼ別の世界を生きていくということであるということだ。

社会人になってイメージとリアルのギャップを鮮明に感じる瞬間はよくあると思うが、その中でも痛感しているのがこれである。

 

首都圏で働く会社のサラリーマンの限界値は、圧倒的な高給取りでなければマンションや郊外に家を購入して毎日朝から晩まで働く。地元が自分のように地方出身だと、家族もいないので引き継ぐ土地もなく、地域のコミュニティも一人で作っていかなければならない。人の出会い、就業の機会は多く娯楽も多く、世界的年の恩恵、大企業の集積する土地を活かして大きな仕事ができる機会が多い反面、自分の居場所を積極的に作りに行かないと孤独を感じることになる。

反対に、地元でずっと過ごしていくには、すぐに助け合うことができる身内の家族や地元のコミュニティがあって、家も先祖から受け継いだものを預かり、大きな仕事はできなくとも楽しく過ごすことができる。田舎でもいいところはたくさんあるし、自然は豊かだし、東京などの都会もそんなに不便な場所でなければ3時間あればでれるところが殆どであろう。(申し訳ないが私が言っている田舎は限界集落のようなガチ田舎ではない)

平成生まれの若者の選択

私は映画に影響されやすい人間なので、「君の名は。」を見て東京で働くことにあこがれを持ったクチだ。どうせ日本に生まれてきたなら、東京で働かないと一生コンプレックスを抱えたまま生きていくことになりそうだなと思ってこっちに来た。

でも半年ここで過ごして、やっぱりここは一生いる場所じゃないとも思った。

東京かそれ以外かみたいな雰囲気になっている現代日本にとって、ここでどちらを選ぶかというのは大きなテーマであると思うし、その選択は人それぞれだと思う。東京は憧れの町ではあるし私もその一人だけど、最終的にどこで人生を終えたいか、という観点だと私は田舎のネズミがいい。

現代の就職活動はどう考えても意味不明なので、それはまた別の機会で述べようと思っているんだけれども、少なくとも就職のタイミングでこっちに来てそういう感覚を実感できたのは良かったと思っている。もう少し人生経験を積んでいけばこの感覚も変わるのかな。一旦、今の気持ちとして書き残しておく。